イケメンは女性に優しい。(非モテにまつわる抑圧の話)


バラエティー番組などでグラビアアイドルとかが、男性お笑い芸人に「キモイ」と言う。 そう珍しくもない光景である。私も何度か目にした。
一方イケメンタレントが、女性お笑い芸人に「キモイ(ブスとかでもいいけど)」とか言っているシーンはあまり見ない。少なくとも私は見た事が無い。イケメンタレントが女お笑い芸人に迫られても、ちょっと困った顔をしつつ優しく接する所しか見た事がない。
この差は一体なんだろう? 


「女はいつも女という種として(性的な存在)として見做される」この様な言説はブログを読んだり、書いたりしている人なら誰しも(嫌という程)目にしてきたであろう。そしてこれは、おおむね事実である。*1


女として性的な視線に曝されるのは、なにも「若く美しい女」だけではない。
世間には様々な「性的な視線」が存在する。
例えば「人妻フェチ」や「熟女専」「デブ専」 これらはそれを専門とする風俗店が存在する程度には、市民権が得られている。「熟女」も「デブ」もある意味商品足り得る場面はあるのだ。多少マニアックな感はあるが、世の中には「ブス専」だって存在する。「ブスのほうがそそる」「スタイル良ければブスでもかまわない」という人だって、結構いるのである。
実際に、全ての女がそうした目線に曝されるのか? という事はおいといて、「そうした目線も世の中にはある」という認識はそう間違ったものではない。(非モテ女の中には、そうした目線を恐れている人もいたりする)*2
世の中は、「女であれば、とりあえず性的な存在として見做す」のである。*3



恋愛資本主義的な側面から見れば、「女は商品」でもあるが、同時に「お客様」でもある。女は欲望されるが故に、または欲望されるために、自分を磨かなければならない。恋愛市場は、立派な市場なのである。市場は広い方が良いので、客層を広げる事も必要。従って従来の恋愛の対象であるいわゆる「若く美しい女」だけではなく、様々なカテゴリーの女も「お客様」に取り入れる。


女性ファッション誌などを見ると解りやすい。そこには「読者=お客様」という素敵なおもてなしワールドが広がっている。 「モテメイク」や「愛されファッション」等の特集が組まれたとしても、あくまで決定的なダメ出しはなく、誰しもに可能性があるかのごとく書かれていたりする。「ステキな貴女がもっとステキになるには…」みたいな感じの文章で。 最近ではちょっとぽっちゃり目の女性の事を「モテプヨ」と称してみたり、「ラブハンドル」(ローライズを履いた時、ちょっとはみ出るお肉の事)なる概念を作り出したりしている。「無理にダイエットなんかしなくてもステキな貴女」である。
こうした「貴女もモテる」というメッセージはそこかしこに溢れている。
「モテ」の概念も一元的ではない。多様化する女性の価値観に合わせて、女性誌が描く「イイ女」の概念は様々だ。「カワイイ」とか「キレイ」だけではなく「女から見てカッコいい女」「輝いてる女」何でもありである。
「本当にイイ女は男に媚びたりなんかしない」とか提唱されたりもして、従来の男が求める女「若く美しく従順な女」でなくても、充分に「お客様」扱いされているのである。 女性ファッション誌のメッセージは「貴女もお客様ですよ。お客様の為に私達はこんな物を用意しましたよ(だから買ってね)」という恋愛市場からのメッセージである。 お客様であるが故に、女性は大切に扱われている。


TVでも、ほぼ同じ事が言える。 主婦向けのワイドショーは言うに及ばず、ドラマや、バラエティ番組等でも、「女性の目線」というのは尊重されている様に思える。 「ギルガメッシュないと」のような「男性目線オンリー」の番組はもう見当たらない感じ。 飾り物のようにニコニコしていただけの女性アシスタントは減り、どんどん前にでるタイプのバラエティ用アイドルが増え、ニュースのメインキャスターは女性だったり、まさに「女性万歳!VIVA女性!」と言った印象を与えている。 
メディアの中で、女性はあくまでも「お客様」なのである。だからイケメンタレントは、それがお笑い芸人であっても女性に「キモイ」とか「ブス」とか言わない。女性にとても優しいのである。 見ているお客様の機嫌を損ねない様に。



一方の男性はどうであろうか?
恋愛資本主義的価値観で言えば、メイクやファッションにお金をかける女性だけではなく、男性だって立派な「お客様」である。食事を奢る、お酒を奢る、プレゼントする。 最近は男性だってお洒落でなくてはならない。 服も要る、小物もいる。 恋愛にはお金がかかるのである。 それを払う男性は「お客様」であるはずだ。だが、何故かあまり「お客様」扱いされていない様子である。


TVの中で、グラビアアイドルは平気でお笑い芸人に「キモイ」なんて言ったりする。 お笑い芸人とは言え男性である。 グラビアアイドルにとっては「お客様」でもあるのに。*4
男性ファッション誌では「モテ」特集があったとしても、なんだか「経験豊富な兄貴が教えてあげるよ」的な上から目線である。 「プレゼントするなら、コレを買え」「食事に連れて行くなら、飲みに連れて行くならこんな店」「こうしろ、ああしろ」「こんな男は嫌われる」etc 
ここでも男性はあまり「お客様」扱いは受けていない。それどころか、女性をおもてなしする側として扱われている印象である。
つまり、女性ファッション誌が描く「イイ女」は必ずしも男性にとって都合の良い「イイ女」ではないのに対して、男性ファッション誌が描く「イイ男」というのは、女性にとって都合の良い「イイ男」である場合が多い。女性はそこでも「お客様」である。


実際の男女の置かれ方がどうであれ、メディアの中では「おもてなしとしての女性上位」が主流である。*5
これはあくまでも、メディアの中での状況であり、メディアからの情報にすぎない。 言ってみれば「たかがメディア」である。が、そうは言っても、人はメディアの情報から完全に自由ではいられない。「そんなものはクダラナイ」とそれを切り捨てる人にしても、「クダラナイ」と認識できる程度には、それは入ってきているからである。 その人の周りの人間が、それをダイレクトに受け取って素直に信じ込んでいる(ように見える)状況だってある。「されどメディア」なのだ。


さて、そんなメディアが流すメッセージを要約するとこうだ(いささか乱暴であるが)
「男は女の為に金を使い、労力を使い、気も使って、自分の見た目も磨きましょう。じゃないとモテませんよ」
つまり男が、女を獲得する為には、能動的にならなければいけませんよ、という事である。これには、女が「欲望される性」であるのと対象に男が「欲望する性」として位置付けられているという前提によるものだろう。
もちろんコレは、「モテ」という局面に限った話ではある。「別にモテなくてもいいよ」という人には関係ないように思える。女を必要としなければ、別に能動的に動いて獲得する必要もない。
ところが、メディアはそういう人達もほっといてはくれない。
こんな話がメディアでなされたりしてるのは、誰もが知っているだろう。
「結婚しない女」と「結婚できない男」に対比される、 「男がダメだから女は結婚しないのだ」的な言説*6。 「結婚しない女」がいわゆるフェミニズム的な価値観で擁護される傾向にあるにも関わらず、男性には擁護はない。
本人がしたいと思っているかどうかの主体性は問われる事なく、一方的に「出来ない」としてくくられる。 そして、「ダメだから出来ないのだ」とこうくる訳である。それには、「男は欲望する性である」と能動的な立場として位置付けラレテ居る事と無関係ではないであろう。 であるから「欲望して当然、しないんじゃなくて出来ないんでしょ?」と言う訳だ。 本人がしたかろうが、したくなかろうが、おかまいなしである。


メディアに共有されたフェミニズム的価値観により、女性側の「欲望される側」の押しつけは迷惑だ、という主張はある程度理解を持って受入れられるようになった。しかし、男性側からの「欲望する側」の押しつけは迷惑、という主張は受入れられているようには見えない。 メディア側は男性には割と平気でそれを押し付けている。押し付けておきながら、一方で押さえ付けもする。 「欲望する事は、暴力である」というような言説はメディアの中には普通に見られたりもするのである。 
男は、欲望する事を強制され、しかもその欲望は暴力を含んでいる、と言われる。ダブルバインドの状況である。 「問題は欲望の向け方や、状況にあるのだ」と言われたところで、それが万人に通用する訳ではない。どんなに気を付けても、それを相手が「暴力」だと感じたら、おしまいである*7。 だからと言って、慎重に行動すれば(もしくは一切行動しないでいれば)「女が怖いのか? 情けない」と言われる。
メディアにとって、女性がお客様であるが故に、女性はいつも「被害者」であり、「善」である。 そして男性は(いつもではないが)「加害者」であり「悪」なのだ。



こうしたメディア状況が、男性に「抑圧」と感じられる側面があるのも、不思議ではないだろう。 「追い詰められている」と感じる人が居ても、無理からぬ事ではないか? と思う。


非モテについて、「それをとりまく状況」から考えた時、私が考えたのはこの事だ。
「女性は抑圧されている」よく聞く言説だけど、本当にそうだろうか? ないとは言わないけど、それは女性だけではないでしょう?って。 男性にだってあるでしょう?って*8
私には、「男性にも抑圧があって、そして男性には逃げ場が少ない」と思えるのである。現在のメディアの状況や情報の、男と女、恋愛、様々なものの扱われ方は、女性よりも男性により強い抑圧を与えるものではないのか?


メディア側が与える情報から、抑圧を感じたり、怖れをなしたり、「女ってどうよ?」って思う事を「被害妄想」だとか「ミソジニー」だとか言う人もいるが、私はそうは思わない。 というより、そうなってしまっても不思議ではない状況が彼らの周りにある、と思う。
確かに、メディアの情報はただの情報でしかない。 「そんなものに脅かされるなんて」という見方だってある。 「自分の人生なんだから、自分の意志で、主体性を持って、自分の選択で生きていけば良いじゃないか」 そういう見方は確かに正しいし、実際私自身もそうである。 セクシャルマイノリティであり、それに沿った生き方を選択している。 でも、それは私がたまたまそう出来た。 というだけの事である。 そして、「女」だったという事も無関係ではない。 現代の日本では女は比較的自由な立場だから。
でも、男性にとって現代はかなり不自由に感じるものだろうと思う。
「男は社会的な動物である」それであるが故に、男性は「社会がどう思おうがどうでも良い」とは簡単には言えなくなっているのだから。
でも、自分を完全に社会に合わせて生きていくのも、ツライのだ。


じゃあどうすればいいの? って言うと、はやり、「自分の主体性と、社会のあり方との間に折り合いを付ける」って事になるんだけど、その辺りの「社会からの距離の取り方」にしろ、「主体性の持ち方」にしろ、男性が参考に出来そうな良いサンプルが少ないのが今の現状だ。


その現状を無視して、非モテに「変われ」というのは、ある意味無責任でもある。

*1:「それが嫌なのだ。問題なのだ。」という話は今回はほったらかしである。申し訳ない

*2:ナンシー関が「デブ専の男性からファンレターを受け取り、恐怖した」というエピソードは、こうした状況を解りやすく示している。

*3:ある意味「女は誰からも性的に欲望されうる存在だ」という事である。非モテというのが「モテない」つまり「誰からも性的な存在として欲望されない」という事だけを意味するのであれば(実際はそうではないから、この問題は厄介なのだが)「欲望されない女などいない」つまり「非モテ女」なんて存在しない、と乱暴にくくってしまう事も可能だ。だが「存在しない事になっている」という事は大きな問題である

*4:TVなどの制作者側は主に男性である訳で、男性が男性を貶めるというのは、いわゆる自虐という芸の範疇に入るのかもしれないが、それにしても…という感がある

*5:そんなメディアのお客様扱いに対して、結局は女をバカにしてる等の、いわゆるフェミニズム「的」論点で語る事も可能だが、ここではしない

*6:「結婚できない女」というのをメディアがあまり扱わない事にもいろいろな問題が含まれている

*7:セクハラを考えると解りやすいかもしれない。ここでちょっと書いてみたhttp://d.hatena.ne.jp/Paris713/20061212/p1

*8:だから女性の非モテの問題はたいした事ない。という話ではない