無敵の人へ何を伝える?
川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい→賛否両論が集まる https://togetter.com/li/1360507
これを読んで思ったことなど…
発端になったツイートをした藤田氏は、優しい人なのだろうと思う。そして、被害者や遺族に心を寄せ犯人への怒りから「1人で死ねばいいのに」と言う人々もまた、心ある人なのだと私は思う。
本題の前に藤田氏に一言。
"あの記事は大変美しいメッセージだと思いました。
ただ、「次の凶行を生まない為」という思いは解るし「控えて下さい」と発信する事で救われる人が居ないとは言いませんが、事件への遣る瀬無い思いを吐き出す事を抑えるよりも、『社会は手を差し伸べるし、何かしらできることはある』という藤田氏が1番伝えたい事を、1番伝えたい人達すなわち「次の凶行を起こしそうな人」へ伝えた方がいいのに、と思ってしまいました。
まあ、藤田氏はそういう活動もしている方で、たくさんの人にそれを伝えて、たくさんの人を救っていらっしゃるのだろうけれど、であれば尚更、具体的な対策、例えば手を差し伸べて貰うにはどうするか、などをお書きになった方が有意義だったのでは?(散々お書きになっているのでしょうけど、注目を集め易いタイミングで書く事で、より多くの人の目に止まるでしょうし、Twitterで論争になるよりは意味がありそうに思えます)偉そうにごめんなさいね。
さて、ここからが本題。
今回の事件は、背景も動機も解らないので、無闇に結び付けたくはないのだけれど、ニュースを聞いた瞬間「無敵の人」のキーワードが頭を過ってしまった。
藤田氏のメッセージも、そのような人を想定して発せられていると思う。
無敵の人が凶行に走らない為に「社会はあなたを大事にしてる…」というメッセージを伝えることは、正しい事なのだろう。「伝えるべき」と言った方がいいのか。
でも、どうやって?
Twitterに優しく美しい愛の言葉が溢れれば、それは伝わるのだろうか?
私には、そう思えないのである。
「人の命は地球より重い」
「人は皆、平等」
「弱者を守ろう」
こういった言葉を一切知らずに育つ人が居るだろうか?
JPOPを聞けば「ひとりじゃない」の歌詞で溢れている。彼らだって耳にした筈だ。
でも、彼らにはそれは届いてはいない。
いや、届いているけど彼らは知っているのだ。
「そんなの嘘だ」って。
だって嘘でしょう?
「死んでほしいと思っている人間など1人もいない」なんて。
鈍感でバカな私ですら、そんなの嘘だと思ってる。
私の事を「死ねばいいのに」と思ってる人がいるだろうし、そもそも世間の大多数の人は、私が死のうがどうしようが知った事じゃないって、ちゃんと解ってる。
世間なんてそんなもんである。
世間なんてそんなもんだけど、それは建前という美しいラッピングに包まれている。
建前のラッピングは美しいけれど、薄いからよく見ると中身が透けて見えてしまうのだ。
「死んで欲しいなんて思ってない!(別に生きてなくてもいいけど)」みたいなね。
そんなラッピングの中身が見えてしまってかいる状況で、果たして優しく美しいメッセージは届くのだろうか?
届く人にはそれでいいけれど、問題は届かない人だ。
そのメッセージを目にしても「誤配された手紙」のように、自分に向けられた物だと感じられない人だ。
その人にとって『自分ではない誰か』に向けられた言葉が、優しく美しいものである程、疎外感や寂しさを感じさせられるのではないだろうか?
それは、「弱者を救おう」というスローガンから溢れ落ちる可視化されない弱者が、そのスローガンに追い詰められる姿に似ているように感じる。
メッセージを伝えるのは、難しい。
言葉は、受け止める側の状況や心境で、どうにでも取れるから。抽象的な言葉は特に。
そうしたメッセージも言わないよりは言った方がマシだけど、それよりも支援の受け方だとか相談窓口が何処にあるか?などの具体的な方法の方が、まだ有意義なのではないかと思う。
(身も蓋も無いけど1番有効なのは、金銭的支援でしょうけど)
最後に、役に立たないメッセージというか個人的見解を。
自分を大事に出来るのは自分しかいないと思うと、本気で自分を大事に出来たりします。
あと、独りなのは、恥ずかしい事でも、ダメな事でもありません。
独りでもいいじゃん。
でも、寂しいと感じた時に、それを吐き出すのも、誰かに頼りたいと思うのも、恥ずかしい事でもダメな事でもありません。
追記
助けて欲しいと思った時や、辛いと思った時に、誰もが(弱者とか関係なく)声を上げる事が出来るようにするには、どうしたらいいのか?
ちょっと真剣に考えたいと思いました。