無邪気な人の、悪意なき感情。

先日「情熱大陸」を久し振りに観た。 さかな君が取り上げられていた回である。
そこに映し出されたさかな君の姿を、私はとても魅力的だと思った。
目上の人には礼儀正しく、子供達には優しく接し、熱く魚の事を語る彼を、とても素敵な人だと思った。 
後日、電車の中で若い女の子が「さかな君ってキモい」と話していた。 私は(そう思う人もいるんだな)と思った。
価値観は人それぞれなので、彼女達がさかな君を「キモい」と思うのは、自由である。 同じ様に電車の中で大声で話す彼女達の事を私が「お前のひじきみたいな睫毛のほうがキモいよ」と思うのも自由である。

私は、彼女達が何故さかな君をキモいと思うのか考えてみた。 顔? 声? テンションの高い喋り方? ファッション? さかなに詳しい事? 何をもって彼女達はさかな君を「キモい」と断罪するのだろう? 
考えてみたけれど、結局は解らなかったがある事を思い出した。

昔、会社で新入社員のA君が私に言った。
「Parisさん、Bってキモくないすか?」 BというのはA君の同期の男性社員である。 A君とB君は新入社員研修を終え、試用期間のような形で私が所属している部署に入って来たのだった。 
「どうしてそう思うの?」と私は尋ねた。 彼は言った「だってキモいから」
あまりの答えに最初はギャグかと思った。 でもちょっと考えてから思った。 理由なんてないのである。 A君にとって、B君は「キモいからキモい」のだ*1
「キモいからキモい」と彼はなんの迷いもなく口に出してしまうのだ。 そこには悪意すらない。 ただの無邪気な感情があるだけだ。

私から見たB君は、大人しくやや消極的な所はあったけれど「真面目で仕事がしっかり出来る人」という印象だった。 お昼休みに1人で仕事の関係の本を読んでいる姿も見かけた。 でも、一部の女子社員の間で「キモい」と言われている事も知っていた。  
一方A君は、上司の受けも、女子社員の受けも良かった。 A君に直接仕事を教えていた私も、「ちょっと雑な所があるかな?」とは思っていたものの、特に悪い印象は抱いてなかった。 その時までは。
自分が感じた「違和感」にしろ「不快感」にしろ、それを深く考える事なく「キモい」で済ませてしまう人、そしてそれを口に出す人を、私は軽蔑する。

ある日、上司が私にそれとなくA君の評価を聞いてきた。 私は、A君の仕事がちょっと雑である事、物事を一面的に見て感情で判断しがちな所があるのでは?と言うような事を伝えた。 それから直接携わってはないものの、B君は仕事もしっかり取り組み、いろいろ勉強しているようだ、と付け加えた。上司は「そうか。まあ、頑張ってしっかり教えてあげてよ」*2と言うと他の女子社員の方へ行ってしまった。
それから時が過ぎて、A君は良い部署に移って行った。 B君は私達と同じ部署に残ったままだった。
私は会社を辞めた。
別にその事が原因で辞めた訳でもないし、転職するにも不況でろくな所はなかったけれど、あの会社を辞めた事を後悔してはいない。
ただ、A君が雑に仕上げた仕事を直すのを手伝ってくれたB君に、何も出来なかった自分の無力さを呪った。
力が無いという事は、自分ばかりでなく、他の誰かを助ける事もできない事なのだと、私はその時初めて知った。

*1:まあ、何らかの理由はあったのかもしれないけれど、彼にはそれを言語化する能力がなかったのだろう。

*2:A君の「だってキモいから」という答えと、上司のこのなんとも投げやりな返事は、随分前の事なのに、何故か鮮明に残っている。