シロクマ先生のような大人になりたい。

長くなってしまったので、小見出しで整理してみました。
今回のお話はこの4本
非言語メッセージの重要性
こんな非言語メッセージは嫌だ
対人コミュニケーションが苦手な人の為の非言語メッセージ
私は大人になりたい

以上です。


非言語メッセージの必要性

私は非言語メッセージがあまり好きではない。
しかしそれは、非言語メッセージを「使わない」という事を意味しない。
対面によるコミュニケーションを取る場合には、それを使用する。むしろ積極的に。
何かを伝えたい時、非言語メッセージはそれを補助するものとなるし、また、発話内容が相手に伝わっているかどうか?を確認する術としての非言語メッセージも重要だ(これは相手の反応としての非言語メッセージ)。
初対面の人とも別に普通に話せてしまうタイプの私は、こうした非言語メッセージ付きのコミュニケーションが「苦手」ではない。非常に便利なツールだと捉えている*1


私は以前仕事で、企業の展示会やイベント等のお手伝いをしていた事があって、会場で司会をしたり「商品のプレゼン」みたいな事をやっていたりした事があったのだが(名古屋の小さな会社だったので、規模も小さく地味なものだが)そうした場合には非言語コミュニケーションはフル活用であった。
自分が話す時にはもちろんの事だが、重要なのは「お客様(聞いている側)」がどう反応するか? である。
司会などの1対多のコミュニケーションでは、言語はほぼ一方通行なので、相手に伝わっているか? 相手がどう感じているか? は非言語メッセージから読み取るしかない。それを読み取った上で、言語と非言語メッセージを駆使して場の空気をコントロールする、というのは基本中の基本で、そうした非言語メッセージをコントロールする事も私はそんなに「苦手」ではない。どちらかというと「得意な方」だ。

こうした事はいわゆる「コミュニケーション能力」のひとつであり、重要であるとは思うのだが、どちらかと言うと「向き不向き」の問題であり、慣れればなんとかなるとか努力でなんとかなる、とは思えないので、一概に「出来ないからダメ」とくくってしまうのはいささか問題があるのではないか?と思っている(ある程度はなんとかなるかもしれないが。*2

さて、冒頭で私は「非言語メッセージがあまり好きではない」と書いた。
理由はただ単純に「面倒だから」なのだが「面倒だから無くしてしまえ」と言えるものでもなく、また「対面コミュニケーションが苦手な人にこそ必要かも」と思っていて、自分でも非言語メッセージに対する気持に整理がつかないでいたのだ けど、シロクマ先生が非常に解り易く記事にして下さったので、私の中の謎は解けた(大袈裟だ…)

注目したのは記事の注釈部分である。

それと、非言語メッセージを伴わない言葉なんて、嘘がいくらでもつけるわけですから、非言語メッセージと言語メッセージが一致しない場合、人はたいてい言語メッセージに疑いを持ってしまうものです。尤も、非言語メッセージのマネジメントが得意すぎる人の場合、それを裏手に取って言葉で本当のことを話して、 表情や声音で嘘をついて逆ハメするという芸当をやってのけることもあるらしいですが、あくまで例外でしょう。

あなた、身体から情報が漏れてますよ?――非言語メッセージは隠せない
注釈2

私が「嫌いだ」とか「面倒だ」とか思っていたのはこの注釈部分にある「非言語メッセージのあり方」で、「対面コミュニケーション」が苦手な人に必要なのは、記事中で書か れている「非言語メッセージだだ漏れ」という行為(状態)だと思ったのである。

なんだか逆のようだけど、逆ではない(はず)。
どういう事か?
その前に注釈部分に出て来た「非言語メッセージをマネジメントする人」の話を少ししよう。

こんな非言語メッセージは嫌だ

シロクマ先生のような方の周りにはあまりいらっしゃらないかもしれなが、私の周りでは結構観測された例である。中学生時代に女子グループの中でそうした事態は度々観測した*3
グループ内で楽しくおしゃべりしつつ、特定のターゲットが居心地悪くなるような雰囲気を非言語メッセージで表す。
ある程度「場の雰囲気」を作り出せる(いわゆるリーダータイプの)女子ならば、周りを従わせるのはお手の物なので、気に入らないターゲットがしゃべり始めると全員でつまらなそうにしたり、「良かったね」などという肯定的な言葉の裏に否定や侮蔑を込める。
このようにグループ内で蔑みの対象にして玩具にしたり、居心地の悪い雰囲気を作り出して「空気が読めないお前が悪い」と非言語メッセージで伝えるのは、そういう事に向いている人にとっては案外簡単だ。 しかも言葉で攻撃するわけでも、ましてや肉体的な暴力を振るうわけでもないので、いじめとして告発もされ難いという便利なテクニックである。


そこまで悪質なケースでなくても、非言語メッセージをマネジメントして、非言語メッセージを重視したコミュニケーションを取りたがる人は居る。
例えば、ドライブ中やデート中に言う「ねぇ、疲れてない?」という言葉の裏に「私は疲れている、喉も乾いたからお茶にしたい」というメッセージが込められている事なんて普通にある事で、コレが読み取れなかったらデートは大失敗である。
よく知人が「彼氏が気が利かない」と言って怒っていたりして*4、怒るくらいなら口に出して言えばいいじゃないか、と野暮な私は思うのだが「非言語メッセージが大好きな人」は怒ったり、悲しんだりしながらも「私(俺)の気持を察しろ」とばかりに非言語メッセージで語ろうとするのである。その人のポリシーなのかもしれないが*5そこまで貫くとある意味立派である。
非言語メッセージが大好きな人達同士のコミュニケーションなんて、「お互いがお互いの非言語メッセージを読み取り合う」という高度な心理戦に突入しちゃってもう大変である。 こうしたコミュニケーションに適応しようとすると、常に相手の非言語メッセージに気を配らなければならないばかりか、こちらの非言語メッセージが曲解されないように気も配らなくてはならない。
面倒過ぎて私には出来ない*6

このような「空気読め」とか「察してくれ」のような非言語メッセージが過剰に働く空間は本当に面倒である。
しかし、私のようにいい加減な人間は「面倒だからヤダ」で済んでしまう問題ではあるが、社会に出る為にはそうばかりも言っていられない。個人的なコミュニケーションはスルー出来ても、社会的なコミュニケーションはスルーすれば良いという問題でもないからだ。
では、どうしたら良いのだろう。

対人コミュニケーションが苦手な人の為の非言語メッセージ

シロクマ先生の記事は本当に良くまとまっていて、まさに「仰る通り」の内容である。

言葉にすがりつこうと頑張った挙句、身体からは非言語メッセージダダ漏れ、情報ダダ漏れというパターンの人は、かなり多いのではないでしょうか。

私もそういうパターンは良く目にしている。
でも、それはある意味「対人コミュニケーションが苦手な人」に必要であるとも言える。
何故か? 相手が非言語コミュニケーションに長けている場合「自分自身の気持ち」を伝えるのに効果的だからである。

私が「対人コミュニケーションが苦手な人」と接する時に最も意識するのが「相手が今何を考えているか(思っているか?)」である。 口下手な人の場合、自身の心情をなかなか言葉に表してはくれないので、無理に聞き出そうとするよりも「察して」しまった方が簡単だったりする(非言語メッセージ大好きな人とは逆の手である)。
相手が「緊張している感じ」を読み取れば、緊張感を和らげる流れに持って行けばいいし、不愉快そうであれば会話の内容を変えるとか、相手が乗って(積極的じゃなくても)来れそうな話題にシフトしてみる、とか方法はいろいろ出てくるのだ。
それは「非言語メッセージだだ漏れ」な状態であれば、結構簡単で「リソースを割く」などと言うケチくさいものを持ち出して来るまでの事でもないし、「非コミュ」にアドバイスやお説教が出来る地位にいる方なら、なおさら簡単であろう。

出来る方がさっさとしちゃった方が合理的だ、と私は思うのだ。

しかし、ここで重要なのは「だだ漏れ」の非言語メッセージを読み取る側が、それを嘲笑って馬鹿にしたりしてはいけないという事である。
別に他人に命令するつもりはないが、そういう態度は大人として如何なものか?と私は思う*7

私は大人になりたい

対人コミュニケーションが苦手な人が「非言語メッセージだだ漏れ」状態になっているのを嘲笑ったり馬鹿にする人というのは、存在する。
「嘲笑って馬鹿にする」という事でストレスのはけ口にして、自分の精神状態をかろうじて保ちたい人は一生その不毛なお遊びをしていればいいのだけれど、そんな事はコドモのする事だと私は思っている。
大人だったら、しかも相手の非言語メッセージを読み取れて、なおかつ「コミュニケーション能力を磨け」などというお説教やらアドバイスが出来るくらい能力のある人だったら「出来ない人を馬鹿にする」なんて事してないで、苦手な人が少しでもやりやすくなる空気を作るくらいの事はしてもいいんじゃないか?と思っている。
少なくとも、私はそうしたいと思っている。
それは私にとってはリソースとか気遣いとか言う程大袈裟なものでもないからだ。


では「対人コミュニケーションが苦手な人」は何もしなくて良いのか?というと、そうでもない。非言語メッセージにある程度の免疫を付けておかないと、社会生活が困難になってしまう事もあるからだ。

「非言語メッセージをある程度コントロールはできるよう意識しつつ、完全にコントロールしようとするのは不健全と心得る」

と記事にあるが、これは社会生活を送って行くにあたって、本当に重要な事だと言える。簡単な事ではないが、少しづつでも習得しておいた方が良いだろう。

物事には順序というものが有って、ある意味面倒であるけれどそれをすっ飛ばしてしまうと成る事も成らないという事態も起こる。
私は、この「だだ漏れ状態」をある種の順序、ステップの一環として考えているのだ。
先程私は慣れれば何とかなるというものではない、と書いた。が、「ある程度はなんとか出来る事もある」とも思っている。

緊張なんて、周りが緊張感を引き起こさせる要因を取り除けば多少は緩和できるものだと思うし、それこそ「慣れる」事によって少しづつ解消して行けるケースだってある。

非言語コミュニケーションに苦手意識を持っていて敬遠している人も、ときには自分の身体から漏れずにいられない非言語メッセージを振り返ってみては 如何でしょうか。意外な盲点や、動揺している時の自分の癖などに気づくかもしれません。自分自身が今、どんな非言語メッセージを漏らしているのかを多少意識できるようになるだけでも、実際には、かなり重宝すると思います。

これは、とても需要な指摘で、苦手意識を持ってる人は実践するにこした事はない、と思う。いきなり実践しようとすると難しいかもしれないが、ある程度緊張感を緩和した状態に持っていければ、そうした「意識すると言う事」も多少は実践しやすくなると思う。
その「ある程度緊張を緩和した状態」にもって行くお手伝いくらいは、出来る方がさっさとした方が合理的だと思うのだ。
逆にそれを「嘲笑ったり馬鹿にしたり」するような事は、非言語メッセージを発する事すら萎縮させ、追いつめてしまう可能性もある。

実際に、意識や理性で非言語メッセージをコントロールしようと無理し過ぎた挙げ句、鬱病などの感情障害に罹患してしまう人は珍しくありません。
あなた、身体から情報が漏れてますよ?――非言語メッセージは隠せない
注釈3

とシロクマ先生も書いていらっしゃるし、そのとおりだと思う。

そんなふうに誰かを追い込んでしまわない為にも「だだ漏れの非言語メッセージ」くらいは受け止めて、対応できるくらいの「大人の余裕」を持ちたいものである。

シロクマ先生の言う「ロールモデル」にはほど遠いけれど*8

*1:逆に言語だけで伝えなければならない、文字だけのコミュニケーションの方がハードルが高く感じられる事の方が多いし、どちらかというと「苦手」である

*2:逆に文章力とか読解力等の「言語だけのコミュニケーション能力」は努力でなんとかなりそうだけど。高度なテクニックがあれば、言葉の裏に「メッセージ」を込める事も出来る(そんな文章力が私も欲しいが、努力嫌いの怠け者なので無理である)

*3:大人になってからもこうした集団での圧力を使う人達も結構いる。いわゆる「空気読め」なんてその最たるものだし

*4:彼女はほぼ全てを非言語メッセージで伝えようとするタイプだったので (その為、相手の非言語メッセージを勝手に解釈してしまうという事もあった)エスパー並に気の利く人じゃないと彼女の気持を察する事が出来ない、というお付き合い難易度の高い女性であった

*5:例にあげたケースは女性だが「察しろ」な人は男女問わずなので、「女性は物事を余りはっきり言わない方が…」的なジェンダーの縛りが関係してるかは謎。

*6:このような人の場合、あまりにも面倒になったら「気の利かない人」のフリをすると勝手に心情を事細かに吐露してくれるので、それはそれで扱いやすいとも言える。ただ大抵の場合怒っているのでアフターケアが必要なケースも生じるが、それも面倒だったら放っておけば相手から離れてくれるという便利な一面も

*7:本質的には「人間としてどうか?」と問うべきだが

*8:しかし、実際のところ私は年寄りの域に達しているので「大人になりたい」なんて悠長な事言ってないで、ちゃんとした大人になってなければ行けないはずなんだが、いろいろと困ったものである