再び「表現規制とミニスカート問題」


私は「表現規制とミニスカート問題」で「両者は同じだと考えている」と言った。

ただし、ミニスカートと性犯罪を関連付けて考える人もいるし、性的ファンタジーと性犯罪を関連付けて考える人もいる。ミニスカート問題と表現規制問題 を関連付けて考える人が他 にいるかどうかは解らないけれど、私は両者は同じだと考えている。両者とも確かなデータもないのに関連付けられ、問題視されているという事において。


今回はそれに対する私のスタンスの話を少し遠回りをしながらする事にする。
今回もブクマコメの引用から。

id:quix_que 責任, 本 題と関係ない、かも 概ね同意ではある(というか多分15年くらい前から同じことを言っている)のだが、「嗜好や好みや価値観」 と人格は不可分というか人格というものはそういうものの集合としか定義できないんじゃないかとも思う。
はてなブックマーク-表現規制とミニスカート問題-どうでもいいことかもしれない

全くもってその通りで、正論だと思う。 「嗜好や好みや価値観(付け加えるなら趣味も)は人格と結びついている部分も大きいだろう」と私も思うからである。 
というのは、そうしたものはしばしば「自己主張または自己アピール」のアイテムとして使われる事もあるからだ。 私個人としてはファッション*1なんて一番簡単な自己アピールだと思っていて、それをアイテムとして使う事だって良くあるのである。 だからと言ってそれが「私の全て」ではもちろんない。 同じように他者にとってのそれも、確かにそういうものの集合体がその人の人格形成に深く関わっていたとしても、それがその人の全てである、とは私には思えない。
「嗜好や好みや趣味や価値観」には、全てその背景というものが存在する。 であるから、「人格とある意味不可分」と言える訳だ*2
しかし、私はその「全て」を把握できる訳ではない、あたりまえの事だが。  それはある程度、その人と対話を重ねる中で少しづつ見えて来るものかもしれないけれど、それは語られた事などから「私が勝手に感じ取ったもの」なので、正確には「わからない」のである。
他者の価値観に対して、それにどのような背景があるのか考える事もあるし、相手に直接尋ねる事もあるかもしれないが、それでも、それは正確につかみ取る事は出来ないし、それでわかったとは言えない。

そう、私にとって「他者は解り得るとは言えない存在」なのだ。
なので、私にとってその人の「嗜好や好みや価値観や趣味の集合体」は、あくまでも「私から見たその人の一面(そういうものを好む人なのだという)」であり、「本当のその人自身の人格とは関係がない」少なくとも私はそう思っている。 つまりそんなに大きな意味をなさないのである。

ただ、その「嗜好や好みや価値観や趣味」というものは、その人と関係を持っていく上では、大きな影響を持つ事でもある。 人間には「好き嫌いの感情、感覚」という物があり、どうしても合わないものや好きになれないもの、嫌いなものもあるからである。

だから私はこの様に書いた。

その人の嗜好や好みや価値観をどう捉えるか?というのは基本的には「捉える側の自由」だと思っている*3。例え ば、誰かのファッションや映画や音楽の好みに対して「自分とは趣味が合わないな」と思う事は自由だ。ただ、そこに「善悪」をからめたり、ましてやそれでその人の人格を決定してしまう事はしてはいけないと思っている。「趣味」への評価は、純粋に「その趣味そのもの」への評価でなければならない、と。


つまり、たとえ自分と合わない価値観や嫌いな趣味がとしても「そんな嗜好を持っているから変な人である」とか、「そういう価値観の人だから悪い人」であるとか、「そういう趣味の人だから、バカなんだ」などと思ってはいけない。と私は思っているのである。
そんなふうに「その趣味とその人自身、その人の人格をつなげてしまってはいけない」と思う。
「趣味」への評価は、純粋に「その趣味そのもの」への評価でなければならない、というのは、そういう事だ。

なので、私は趣味や嗜好で勝手にその人を判断する、という見方は取らない。 
それだけで、その人を規定したりはしない*3。 
私にとってそれらは集合体というよりは、個々にバラバラに存在していて「そういう価値観は共感できないな」であったり「そういう嗜好は私にはないな」であったり「そういう趣味は私とは合わないな」する訳だけど、それだけの事である。 それだけの事なので、「趣味は合わないけど価値観には共感出来る」なんて事もあったりする。
また、それらの事柄からその人を「嫌いだ」と思ったとしてもそれはただ単に「私は」その人が嫌いというだけの事で、そこに正当性はないのである*4

ところが、往々にしてその人の「嗜好や好みや価値観や趣味」から人格を規定してしまう人がいる。
「そんな嗜好を持っているから変な人である」とか、「そういう価値観の人だから悪い人」であるとか、「そういう趣味の人だから、バカなんだ」などと思う人は存在するのである。
私はそのような『見方は』大嫌いである。

私は、「ミニスカをはいているのは男を挑発しているに違いない」とか「ロリコンまんがを読んでいるような奴は犯罪者予備軍」とか、そういう見方をとらない。
そう、表現規制とミニスカート問題はここでも繋がるのだ、両者ともその趣味嗜好から、その人を勝手に規定しているからである。
私はその見方、考え方が嫌いであり、嫌なのである*5
でも、ミニスカートと性犯罪を関連づけて考える人も、性的ファンタジーを性犯罪と関連づけて考える人もいるように、趣味嗜好から、その人を規定してしまう人も存在する。 そしてそれも個人の考え方の自由であるとも考える。

私は「ミニスカをはいているのは男を挑発しているに違いない」とか、「ロリコンまんがを読んでいるような奴は犯罪者予備軍」とか「処女を好むような男は僻み根性の固まり」だとかそういう見方はしない。嫌いだし、したくないから。


でも、私がいくら「大嫌いだ」と罵ろうが、そういう見方や考え方をする人は居なくならない。 そういう人が存在するのは事実なのである。 どんなに犯罪を憎んでも犯罪ががなくならないのと同じ事である。 もちろんこうした『見方』や『考え方』は犯罪ではない、だが犯罪ではないが故に犯罪をなくす事より難しいと思う。
私は独裁者ではないので「そうした考え方を持っている人」を抹殺する事は出来ない*6。 
そこまで極端な話ではなくても、その考え方を変える事を「強制」できない。
「その考えは間違っていると思う」と伝える事は出来ても、また説得する事が出来たとしても、無理矢理従わせる事はできない。 その人の考えはその人のものだから。
そう、私が「嗜好や好みや価値観や趣味で人格を規定してはいけない」と思うのが自由であるように、違う誰がか「規定してもいい」と思うのも自由だと思っているからである。

私は、私と正反対の意見だとしても、受け入れられない意見だとしても、相手にはそれを言う権利があると思っているから。

私自身の口を私自身の意思でつぐむ事はしても、相手の口を無理矢理塞ぐ事を私はしない。
そんな権利は私にはないのである。


それはすなわちこう言う事だ。

これを、または私の今までの言説を読んで、あなたがどう思うおうと、それはあなたの自由だ。
私の事を気違いと思おうがバカだと思おうが、卑怯者と思おうが犯罪者と思おうが、何を思って何を言っても、私はそれを止めない。

私がそれに対して反論や質問を返す自由はあっても、あなたの発言を止める権利はない。
自由に、あなたの思うがままに、発言すれば良い。 
私はそれを恐れないから。
「それを恐れちゃったら私が廃る」ってそういう事だ。

*1:これだって好みの一つだと思うが

*2:なのでこれらのアイテムは「自分自身を分析する」時には結構使える

*3:というのは、それは私の世界を狭めてしまう事になるから、という至って自己中心的な考え方から来るものであり、私が良い人だと言う事ではない。読んで下さる方は誤解しないように(はてなの中には純粋な方が多いので心配なのである)

*4:まれに、私の中の規範に合わせてそれを「悪」とする場合があるが、それも私が勝手に決めている事で、なんの正当性もないので、その人格そのものを悪として糾弾したりはしない。ただ一人で怒っているだけである(我ながら小さな人間だと思う)

*5:もちろんこれにも正当性はない。私の中では間違っている事でも、他者にとってそうである、そうであるべきだというスタンスを私は取らない

*6:独裁者であれば権力で抹殺も可能だろうと思われるが、その人が黙っていた場合、または嘘を付いていた場合は「わからない」ので完全に抹殺は出来ないのである