前回の補足


コメント欄に書くにはあまりにも長くなってしまうのと、「ナツ氏に個人的に物申す」という事でもないので、ここに補足の意味も込めて改めて書く事にしました。


前回の記事で私は「男性への抑圧」に関して書き、女性への抑圧には言及しなかったが(注釈を付けたものの)、これは女性への抑圧はないとか、どうでも良いとか思っている訳ではなく、女性への抑圧というのは、これまでにも様々な人が書いたり訴えたりしてきて、現代ではわりと自明の事になりつつある事と、それに対して男性への抑圧があまりクローズアップされていなかった為である。
つまり、加害者であり、抑圧する側として見做されている男性も、被害者であり抑圧される側である事を言いたかった訳だ。


で、私個人の感覚としては男性の方が「抑圧がキツイ」と思っているのだが*1これはあくまでも私の個人的な見解であって、本質的にはどちらがどうであるというのは、不毛な議論である。

もちろん、私も「どちらが抑圧されているか合戦」をする気はないが、「男性がダブルバインド」の状況に追い詰められている事に関しては、過酷な状況であると思っているのでちょっと強調しておきたかった。
この抑圧は、多くの女性が感じる「女はこうあるべき」と言った、行動を制限する抑圧*2とは、また違った意味を含むものだ。
それは、被害者を生み出してしまうこと、つまり加害者の立場に追い込まれるという事に於いて。


自分の性の在り方そのものが、「暴力であり、罪である」と思うが故に、恋愛に対して抵抗を持ってしまう事は、「モテる、モテない」でくくってしまうには、あまりにも過酷なのではないか?と思う。


しかし、ダブルバインドの状況があるとは言え、「恋愛を楽しむ男性」はいる訳で、非モテの問題がそこに集約される訳ではないと思う。


問題は、「『恋愛できない、したくない』という人は駄目人間である」という抑圧である。
一体、それは何処から来るのか? 一体誰が抑圧するのか? 真の敵(というと語弊があるかもしれないが)は一体何か? というのは、また改めて書く事にする。


最後に個人的な話ではあるが、私がこの「男性が『自分の性の在り方そのものが暴力であり罪である』と感じている事」に対して拘っているのは、もしかしたら、そこに自分を重ねてしまっているからなのかもしれない。
私はアセクシャルであるので、誰ともどんな人とも恋愛関係(及び性的な関係)を結ぶ事はできない。
言い換えれば、どんな人であっても恋愛対象(性的な対象)として受け入れられないという事である。
そんな私という存在を、恋愛対象(性的な対象)として受け入れられる事を「自己を承認される事」と認識している人から見たら(永久に承認されないという事に於いて)その人を拒絶し、否定する存在として、つまり傷つける側「加害者」とみられても仕方がないとも言える。
つまり、私のセクシャリティは、常に他者を拒絶し、否定するという「ある種の暴力」を内包している訳だ。私が、アセクシャルであるという事に関して負い目とか、引け目を感じるとしたらその一点に関してである。
まあ、ダブルバインドに苦しんでいる男性から見たら、全然見当違いの「なんだ?このバカは?」という話かもしれないが、ちょっと思ったので。

*1:何故か?というのは前回の女性誌のくだりと、http://d.hatena.ne.jp/Paris713/20061215/p1

*2:もちろん女性への抑圧はこれだけではないだろうし、だからどうでも良いという話ではない