傷つける性として生まれた罪を知れ

「性的客体してだけ扱われる(いわゆるモノとして扱われる)」という事の恐怖感というか、嫌悪感のような話は、かなり前から繰り返されて来た事で、いまさらそう珍しい話でもないのだけれど、最近また盛り上がりを見せている。
「何度目だよ」と言いたくなるような話ではあるが、「何度も言わないと解らないバカがいるからだ*1」という事なのだろう。
私も女なので、そういう恐怖も嫌悪感も解らない訳ではない。セックスのリスクが女の方が高いというのは「事実」であるし、セクハラだって不快である。 私の場合は*2不快な言動をした人に対して「不快だ」と言ってしまうし、犯罪レベルの問題であれば犯罪として処理してしまうタイプの人間なのであまり深く考えないが*3、こうした事を大変重く受け取ってしまう女性もたくさんいるのである。 中には「女になんて生まれたくなかった」と思う人もいるだろう。

こうした女性達の「意見」は全く持って「正論」であり、男性としては黙って受け入れる他はない。
セクハラは「相手がセクハラだと感じたらセクハラ」なので、反論の余地などないのだ。
女性から男性に対してのセクハラだってあるが、男性がそれを訴えられる土壌というものがあまりないので、世間的には*4「男は加害者」「女性は被害者」なのである。
こうした問題では、とにかく男性は分が悪い。
とにかく女性がこうした恐怖感や嫌悪感を抱かないように「注意深く」「相手を尊重して」振る舞わなければならないのである。
でも、どうやって?

それは非常に難しい。 だって、受け取り方も許容範囲も人それぞれだからだ。
女をモノ扱いするのは男の仕様、あるいは男の性の脆弱性と所有欲についてid:ohnosakiko氏のように深く分析し、冷静に対応してくれる人も居るが、そのようには考えられない女性は多い(と思う)。中には「それは最早ミサンドリーではないか?」と思われる受け取り方をする人もいる。
例えば「脚が奇麗だね」という言葉を「セクハラ」と感じる人も居れば、それを「褒め言葉」と感じる人も居るのである*5。 また、同じ言葉であっても、その言い方で(あるいは雰囲気で)それを不快に感じたりする人は居るだろう。
しかし一方で「褒めて欲しい」という女性だって存在する。
昔、知人が「日本人男性は褒めてくれないから嫌。今付き合っている彼はアメリカ人なんだけど、会う度に『今日の君は奇麗だね』とか『セクシーだね』って言ってくれるの」と言っていたが、そのように何時も褒めて欲しい、と思っている女性もいる。
「それは、彼氏として承認されたからだよね?」という声もあるだろうが、彼氏や夫以外の男性からの「褒め言葉」の受け取り方だって人それぞれで、ポジティブに受け取る人は実際にいるし、欧米のように「挨拶代わりに女性を褒める」という文化が日本にないのはつまらない、と言っている人すら居る。 

まさに「受け取り方は人それぞれ」で、「女性だから」と言ってひとくくりには出来ない。
「これが正しい女性への接し方です」などと言うものは存在しないのである。

もういっその事、男性は女性を相手にしない方が良いのかもしれない。そんな事すら思うがそうは行かない。 
「最近の男性は女性に対して積極的じゃないからダメだ」という話はしょっちゅう出て来る。

ずいぶん前に、私はこうした「男性のダブルバインド」についての記事を書いた。 書いたが、私はそこで「ダブルバインドの状況にある」という事を指摘するだけで、その対策については書けなかった。 あれから度々考えているが、答えは出ない。「正しい振る舞い方」が自明ではない以上、どうしようもない。どんな振る舞い方をしても、「加害者」になる危険性からは逃れる事が出来ないのである。

「それは一般常識のない男性の問題なのだろう」という人も居るかもしれない。 だから「自分には関係ない」という男性も。
ところが、女性慣れして女性に優しい男性も無関係ではなさそうだ。 著作をたくさん出しているような偉い人がこんな事を言っているからである。
「僕なんか彼女を殴ったりできないよ」信田さよ子blog

これはDVに関しての記事なのだが、筆者はここで「DV加害者や性犯罪者と一緒にしないで欲しい」と、加害者男性を極端な例として排除して考える男性の話をしている。 そして最後はこのように結ばれる。

このような排除する姿勢が、DVは男性の暴力だという意見に対する反発につながる。どこか、フェミニズムへの反発と共通してはいないだろうか。
本来の対抗すべき相手とは向き合わず(なぜなら排除してしまっているから)、被害者として加害者を批判する言説への反発にエネルギーを注ぐ。
この奇妙で、お角違いの敵意がネットやさまざまな場所で噴出している。
その根底にあるのは、自分もその一員である男性カテゴリーの中に、見たくない現実、認めがたい男性を引き受けられないという脆弱さではないか、と思う。

と言う訳で「一部の男性の事だから」と排除してはダメなようだ。
もう「男として生まれたからには全てダメ」とでも言われそうな勢いである。 
男性だって、「男に生まれて来たくて生まれて来た」という訳ではないのに、男性であるというだけで背負わなければならないものはとてつもなく大きくなっているのである。
男性は相変わらず「きちんと社会参加すること」や「家族を養う為の経済力」は求められている。バブル時代の様に高額を望む女性は少なくなったが、それでも専業主婦願望の強い女性は居るし、共働き前提としても「出産」や「育児中」は男性に経済的に頼らざるを得ないため、ある程度の経済力は求められる事になる。 
これは社会的な問題でもあるので仕方の無い事ではあるが、非難を覚悟でぶっちゃけて言うと、それも女性次第だと「個人的には」思っている。私の母はいわゆる未婚の母だ。彼女は「紙切れ一枚で取り交わされる結婚という契約」に意味を感じなかったが、子供は欲しかったので私を生んだのである。しかしこれは母が自分で店(オートクチュールのブティックであったが、従業員もそれなりに居た)を経営していて、男性の手を借りずに経済的な基盤を確立出来たからであり、レアケースである事は間違いないが、やってしまう女性はやってしまうのである。だからと言って全ての女性がそうすべきという話ではもちろんない。 
という訳で、女性が男性に(ある程度)経済力を求めるというのも、残念ながら今の社会では「正当性を持った要求」なのである。
このように現代の男性は従来どおりの社会的な責任を負わされているのだが、昔は「男の特権」として許されて来たような振る舞い(いわゆる亭主関白的な)は、今ではあまり歓迎されない。 「男女平等」の世の中なのでそんな「前時代的な男らしさ」は求められてはいないのだ。 もはやそんなモノは「抑圧されるべきもの」として扱われている印象がある。女性をエスコートしたりというソフィスティケートされた振る舞いや、女性を守るというような男らしさは求められる事はあったりするが。
ここでもいわゆるダブルバインドの問題は浮上する(というよりダブルスタンダードか?)。
もう現代の社会では「男性であるメリット」なんて殆どないのではないのか? そんな事を個人的には思うのだ。

かつて男性が、女性を差別して追い込んでいたように、女性が(社会がと言い換えてもいいかもしれないが)男性を追い込んでいっているという事は全くないのだろうか? と私は考える。
もちろん、そんな事はしていないと思う女性も居るだろう。それはそれで構わない。

私は決して全男性を責めてなどいない。極論すればDV男性すら責めてはいない。責めることの無意味さと不毛な対立はよく知っているからだ。

と信田氏も書いているし*6、「モノとして扱われる」という事に恐怖感を抱く女性も男性を責めてはいないのだろう(たぶん)。
しかし、先の信田氏の記事を読んだ私は思うのである。
それを「責められている」と捉えてしまい「男性として生まれて来た事」に罪悪感を抱いてしまう人がいるのではないか?という事を。 そのように「私が」誰かを追い込んでしまう可能性を。
書いたのは私ではない。私ではないが「切り離してはいけない」という信田氏の主張を自分に置き換えればこうなるのである*7
あくまで個人的な考えではあるが、私はどこかで「人間は生まれて来た事自体が罪である」と感じている。だからと言って全世界に頭を下げて生きていかなければ、とは思わないけれど最低限引き受けなければいけない事もあるのではないか? と思っている。
傷つける性」として生まれながらに「罪人」の烙印を押される事に怯える人を「脆弱」などと切り離すのならば、そう追い込む可能性がある自分というものだって引き受ける事も必要なはずだ。 


しかし問題はそう引き受けたところで、一体どうするのか? という所である(信田氏も答えてくれていないし)。
私は信田氏の記事のメタブックマークにこう書いた。

Paris713 私自身が産まれて来た事事態が罪であると自覚は出来るけれど、他者に対して「お前は罪人だ」と言いたくはない。いい人ぶるつもりはないけど。補足/実際に罪を犯してない人に対しては言いたくない。

まずはこの「感覚」を少しずつ掘り下げてゆく事から始めるしかないかもしれない。
それは「傷つける性として生まれた私」の罪滅ぼしになるのだろうか?




 

*1:何度言っても解らないのは、伝え方が悪かったり、言う相手が間違っている可能性はないのだろうか?と疑問に思わなくもないが

*2:アセクシャルなのでセックスのリスクは置いといて

*3:まあ、あまりそういう類いのバカに遭遇した事がないから言えるのかもしれないが

*4:ネットでは多少そうした事に対する言及があるが、いわゆるTVなどで取り上げられたりするような「市民権」はまだ得ていない

*5:「手が奇麗だね」と言われてセクハラと感じる人は少ないかもしれないが(居ないとは言わないが)脚は結構居ると思う。私は平気だが

*6:責められている、と受け取ってしまう人はいるだろうと思うし、私もそう受け取ったが

*7:信田氏の記事に賛同は出来ないがある意味重要な視点を含むと考えているので