なんと卑劣で愚かな私(はてこさんへの公開質問つき)


私はいわゆる「性的なファンタジー」というものを一切必要しない人間である。

だが、最近いろいろ言われている「表現規制問題」については個人的にいろいろ考えるところがあり、はてなを始めとするブログ界隈をうろついていた。
基本的には私は「規制反対」の立場であるが、賛成派反対派のどちらの意見も興味深く読んだ。
また、「性的なファンタジー」に対して様々な見方があることも知った。賛成、反対関係なく、共感できる意見もあれば、理解できる意見もあったし、共感出来なくても理解出来る意見もあったり感想は様々だったけれど。


先程も述べたように、私は規制に反対の立場を取っている。
何故か?というのはもう、あまりにも単純でお答えするのも恥ずかしいくらいなのだが、やはり「表現の自由、思想や内心の自由を規制してはいけない」と思っているからである。
私にとって「性的なファンタジー」は全く必要としないものであるし、その表現、または作品の多くは興味もなければ、何の価値もない。 それどころか、あまりのえげつなさに怒りを覚える事もある。(それは男性向けだけでなく、女性向けである少女漫画やBL、残虐な暴力が描かれているものも含めて)
それでも「表現の規制はすべきではない」と私は思っている。

そんな私にとって「内心の自由」に深く切り込んでいる(ように見える)はてこさん(id:kutabirehatekoさん)の記事はとても印象に残った。
私は頭が悪いので、理解できない所も多々あったし、そもそも読み間違えている可能性も高いのだけれど、ものすごい「罪悪感」を感じてしまったからである。(性的ファンタジーなど必要とした事すらないのに)

この罪悪感の正体は一体なんだろう?と私はずっと考えて来たのだけれど、
その答えに今回たどり着けた気がした。



アンドロイドの人権と神さまとセカンド・レイプを読んで。

そうだ。鍵は良心だったのだ。

よく言われる「胸に手をあてて考えてごらん」これである。

私はとても図太くて自己中心的な人間なのだけれどそれでも「胸に手をあてて考え」れば誰かを傷つけてしまった、という事に思い当たり、「罪深き私を罰して下さい」と跪きたくなってしまうのである。

もちろん、はてこさんは誰の事も「断罪」なんてしていない(のであろう)。文章の何処にも「お前が悪い」などと具体的な事は書いていないし。

でも、背後からじわじわと伝わって来るのである。
もちろん、そんな事を勝手に読み取る私が悪いのだ。はてこさんは悪くない。私の頭が悪いだけ。

私はこれまでにたくさんの人々を傷付けて来た。
無意識のうちに。そして意識的に。
私は「アセクシャルである」と自認する前に何人かの人と付き合った。大抵の場合は私が肉体関係を拒んだり、やる気のない態度で臨んだりする事で関係が悪くなった。 その時、不思議な事に殆どが私を責めるのではなく、自分自身を責めるのだった。 彼らは私の言葉や表情の背景にこんな事を読み取っていたのである。

「お前の汚い性欲で、私のこの身体を汚すのか?そんなお前は本当に私の事を愛していると言えるのか?胸に手をあてて考えてみろ」

そんな事を読み取ってしまった彼らは「自分自身の性欲」を呪うのである。
私が性的な欲求を他者に抱けないのが、仕方の無い事であるのと同じ様に、彼らが私に対して性的な欲求を抱いてしまうのは仕方の無い事であるのに。 「性欲なんてなくしてしまいたい」彼らはよく私に言った。時には涙を流して。

私は彼らを混乱させ、傷つけていたのである。深く。
そして周到な事に「私自身が加害者である」と彼らに知らせないようにして。 それどころが、清純にして純真な哀れな「被害者」のフリをして。
「そんなことは言ってないよ」という逃げ道も確保して。
なんと卑劣な私。


そんな記憶を掘り返される文章であった。 それは私が勝手に掘り起こしてしまったものだ。 かつての私の表情や、しぐさや、声のトーンの背景に言外の言葉を読み取って「勝手に」傷ついてしまった彼らのように。


はてこさんの記事には例として
強姦と殺人を思い描いて性的な興奮を得ることに悩む男性のこと
が書かれているけれど、言うまでもなく(というのは、はてこさん自身もお解りのようで、コメントなどでは他の表現の暴力性には触れられていますが、何故か主題にあがるのはいつも「男性が加害者」の例ですね)どんな表現でも、誰かを傷つける可能性を持っている。
「誰一人として、絶対に、傷つけない」そんな表現なんて存在しないのだ。


でもだからと言って、何かを表現する事を、表現されたものを求める事を、私は規制すべきではないと思っている*1



私の中の神は、死んでいる。
幼い頃「人間は生き物(植物も含む)を食べないと死んでしまうのだ」と教わった時に。
私の中に良心はない。
私が食べないといけない豚さんに食べさせてしまったから。


人は誰かを傷つけずには、何かを犠牲にしなくては生きていけない。 それに対して意識的であろうとする事は間違いではないし、そうあるべきだ。 私はそう自分に言い聞かせている。自分自身だけに。

強制はしない。するつもりもない。



追記 

はてこさんにしつもんです。
もちろんお答えいただかなくてもだいじょうぶです。

女性がファッションの自己表現として(いわゆる内面の自由として)ミニスカートをはくことをどう思われますか?
彼女の内面の自由は保証されますか?
また、その結果に責任がもてますか?


コメントを読んでさらに追記

「良心」とか「無意識」に訴えかける手法は最強ですね。
議論はその手法の前では手も足も出ない。
まあ、私は卑怯なので反則技をよく繰り出しますが。
女の特権的なね。弱者とみなされているのって、結構いろいろ使えますね。

*1:ただ、レイティングだけでなく、住み分けも必要だと思うし、「これはバナナであって性器ではありません」みたいな言い訳は本当に「愚か」だと思う。書くなとは思わないけど