今更ながらのミニスカート問題


はてこさん(id:kutabirehatekoさん)から、ミニスカート問題についてお答え頂けた事をとても嬉しく思っている。
お答え頂いた事もさる事ながら、その内容が私の考えとほぼ同じであったから。

ミニスカート問題が浮上した時、私もいろいろ考えたのだけれど、反応が怖くて言えなかったのである。なんてチキンな私。

私も「ミニスカをはいていた女性が何らかの被害にあった時に責任を取るのは彼女自身だ」と考えるから。それは「彼女が悪い」という意味ではない。「加害者の罪が軽減される」とも思わない。 言うまでもない事だが、犯罪は憎むべき事であり「ダメ、絶対」である。

ただ、私は優しい人間ではないので「だからそんな格好はおやめなさい」とは言わない。好きな格好をすればいいのである。他人からどう思われようとも。
「自分の魅力を最大限に見せる」という基準も「寒いか暖かいか」という基準も「上品か下品か」という基準も人それぞれだし、本人が「似合う」と思って着ているのなら、つまり自分の内面の自由においてそれを選択しているのなら、それは私が「しかし似合ってないな」とか「もうちょっとこの場にふさわしいファッションがあるんじゃないの?」とか「センス悪いな」と思ったとしても関係がないからである。 だから私はそれを口には出さない。余計なお世話以外のなものでもないから*1



「自由には責任が伴う*2」というのは至ってあたりまえの事だと私は考えているので「責任を取るのは彼女自身だ」と考えるのであるが、それは「そんな格好してたらどうなっても知らないよ」という非常に突き放した、冷たい態度である。

と、ここまで書いて来て思ったのだが、空想の世界の「女の子」にまで優しい視線を向けているはてこさんが、現実の女性にこんな冷たいスタンスを取るとは思い難いので、同意とは書いたもののもしかしたらまた私は読み間違いをしているかもしれない。はやり私は頭が悪い。

それはさておき繰り返し言うが、責任はもちろん本人にあるが、それで何か危害を加えられたとして、加害者の罪が軽減される訳ではない。そんなものに誘発されて理性のタガを外してしまう側の罪は大きい。当然の事である。


ファッションも表現のひとつであるが故、私は多少冷たいスタンスながらも、その自由を保証する。
あらゆる表現は批評される事を間逃れない訳で、ファッションももちろん批判の目にさらされる訳であるし、私も様々な感想を抱く訳だけれど、どんなファッションであったとしても批評はしても(とは言うものの私は基本的に口に出して批評はしない。人の趣味にケチをつけるのは下品だと思うから)否定はしない。全ての人が好印象を持つファッションなんて皆無だし、ましてや「私が不快に思うからやめろ」なんて言う権利はないから。
何をどう着てもその人の自由なのである。
出版物などに於ける表現もまた同じで、それをどう捉えるかは千差万別で、誰ひとり不快にさせない表現なんてない。あらゆる表現は批評される事を間逃れないし、私も批評はするけど否定はしない。



しかし同じ表現とは言え、出版物に於いけるそれとは違いがある。それはゾーニングが成されない事だ。部屋の中で独りでファッションショーをしているならともかく、街に出れば万人の目に触れる事になる。それを不愉快と感じる人の目にも。もちろんファッションにも「社会的なコンセンサス(例えば一般的な会社に面接に行く時の服装とか)」もあるし全裸で外を歩いたら犯罪なのである程度の規制はあるが。

そういう意味でも他者への配慮という問題は極めて複雑だとも思う。(はてこさんの言う配慮はどういう配慮を示しているのだろう? 機会があったら教えて頂きたい)

もうひとつ決定的な違いは「性的なファンタジー」に於いて、それはジェンダーセクシャリティの問題が深く関わると言う事である(実際にはファッションにもジェンダーセクシャリティが深く関わるがそれに関しては後日書くかもしれない)。

私はアセクシャルである事に対して、何の不都合もコンプレックスも感じてはいないし、現状に満足しているが、自ら望んでアセクシャルになった訳ではない。自己決定ではないのである。
性別を選んで産まれて来る事が不可能なように。 だから私はジェンダーセクシャリティに関して責任は求めない。
もちろん、そこに「善悪」もないと考える。




さて、私は先程「怖くて言えなかった」と書いたが、何が怖かったのかを正直に言うと、この発言(ミニスカートの責任について)が女性批判と捉えられる事が怖かったのである。まあ、それで攻撃されようが別にどうと言う事はなかったのだけれども、公の場で(こんなブログでも公の場だと思っている)女性を批判するのは世間的には「悪」だもの。私にも少しは良心が残っていたのかな?とも思ったが、何の事はない、見ず知らずの「ミニスカートをはきたい女の子」の権利を守る為に悪者になるのが怖いという単なる自己保身だった。ま、そんな事はどうでもいいけど。

*1:ところで、「彼女自身の内面の自由による選択」が他者に配慮されているか? という問いは非常に重要であるが無意味でもある。人間の感覚は千差万別なので、何処までが配慮された状態なのか?というのは一概には言えないからである。「配慮してますよ」と言えば「そうですか」と言うしかないと私は思っている

*2:これはあくまでも自分自身で選択し、決定した事柄においてという事であり、最近使われている「そう言う状況に追い込まれざるを得なかった場合」にも適用しようとする『自己責任論』ではない